サンタと鹿のクリスマス

西の方のサンタさんより ニコクラの皆さんに、クリスマスプレゼントとして
見せてあげたいって、すんごい懐かしいものを教えてもらいました。

2011年の12月でしたね。

NICO Touches the Walls、ニュー・アルバム『HUMANIA』購入者特典はUSTREAMライヴ第3弾

12月7日にリリースされるNICO Touches the Wallsのニュー・アルバム『HUMANIA』の封入特典および購入者特典が発表となった。

このアルバムには、2011年 12月11日(日)の21時から22時まで配信されるUSTREAM番組に参加できる「アクセスコード」が封入される。この番組は、アコースティック・ライヴや、メンバーとコミュニケーションがとれる企画などが行われるもので、アルバム『PASSENGER』とシングル『手をたたけ』のリリース時に続き3回目。

https://rockinon.com/news/detail/59978

X’masの間(っていつからいつ?) 
まずは 12/24 中限定公開ってことでコッソリよろしく。
過ぎたら 動画埋め込み外すよ。

※12/26 2:50 埋め込み外した

もう、最近はYoutubeに何でもあがってて、アーチストもそれに対して、ちょさっけんを盾に訴えることもなくなって。
でもグレーなことには、やっぱりビクビクしちゃいます。
きちんと権利クリアできる紙媒体や、内々で観るためのデータを集めるのです。

NICO Touches the Wallsと私と

音楽文 powered by rockin’on.com にも 沢山NICOについて寄せられた投稿があって、その中から、かおちゃん さんからのテキスト、転載許可いただきました。
http://ongakubun.com/archives/4082 

過去にどこかに書かれたものなどは、ネットの海に埋もれちゃうんですよね…ぜひともありかをお知らせ下さいませ。


NICO Touches the Wallsと私と

HUMANIAからOYSTER-EP-まで追いかけ続けたその先へ

かおちゃん   2018年2月15日


2017年12月6日。ミニアルバムとしてはインディーズ以来のリリースとなるOYSTER-EP-が世に放たれた。すでに様々なところで多くの人がその感想を述べている。新譜の感想を綴るのが苦手な自分は、これまでのことを主観ではあるが振り返ることにする。

私がNICO Touches the Wallsの存在を知ったのは2011年8月のこと。CSスカパーでたまたまやっていたMV集。その時に流れていたのは、順番は覚えていないが、手をたたけ、Diver、サドンデスゲーム、妄想隊員A、ホログラム、かけら-総べての想いたちへ-の6曲。8月17日のリリースを控え、新譜とともに過去作を振り返るものとしてだった。ぼんやりと名前は聞いたことがあったのだが、きちんと曲に触れたのは初めてだった。最初は何となく流し見ていて「よくありそうなJ-POPとJ-ROCKの境目を漂うバンドかな?つまんなさそうならチャンネル変えようかな?」そのように思っていた。しかし、結局MV集を最後まで見てしまっていた。それは、手をたたけのMVに惹かれたからである。あんなに底なしに明るい曲を聞いたことがなかった。まるで「自分達は今までに1度も何にも悩んだことがありません。ずっと陽の当たる道しか歩いてきませんでした。月の光を街灯にするほどの暗い道なんて知りません」とでも言っているかのような。そのため当時は、何の苦労もしていないトントン拍子に成功してきたバンドだという印象を持っていた。

数日後、CDショップに向かい手をたたけを購入。他の5曲も気になったこともあり、少しずつ調べるようになっていった。そこで、12月7日にアルバムを出すことと年が明けたらリリースツアーがあることが分かり、これはいっちょ覗いてみるか、とツアーに間に合わせるための曲集めが始まった。

HUMANIAのリリースを待つ間、新しいものから古いものへ順に遡る形で買ったりレンタルしたりしながら聞いていった。オーロラあたりの時期は第1印象と近い感じがあり、やはり暗いものを一切知らないバンドなのかと感じていた。しかし、PASSENGERやインディーズの頃のミニアルバムに行き当たると、それまでに抱いていた印象が覆された。「あのとてつもない明るさに辿り着くまでにこんなにも長く苦しみもがいていたのか」と驚きと衝撃がなかなか消えなかった。もしかしたらこのバンドはもっとたくさんの横顔があるのかもしれない。ますますおもしろくなってきた。もし途中で飽きればいつでもやめればいい。それが音楽の選び方の自由なところ。しばらく追いかけてみよう。そう決め、HUMANIAを手に取り、リリースツアーへと向かった。

DVDとして出されているのは追加公演の幕張であるが、私は本編の大阪と追加の大阪の両方に足を運んだ。そこで観たものは、音源やMVだけではわからない、むしろそこから盛大にはみ出し過ぎるほどの見せ方と遊び方だった。まだ追って半年しか経たないが確信に変わった。しばらくと言わず、ずっとついていこう。これだけのアレンジクローゼットを持っているのなら安心できる。『2011年はリリースイヤーだったので2012年はライブイヤーにします』光村がその年の予定方向を宣言し、期待が高まった。

2012年。夏の大三角形で再びオーロラの頃のようなキラキラした姿を示した後、ALGORHYTMIQUEツアーが始まった。初踏の土地を含みつつ、何のリリースも持たず、ただやりたいように展開するロングツアー。2010年に行われたミチナキミチツアーの2012年版ではないか?という自己考察をしながら参加。HUMANIAツアーよりずっとタイトで引き締まったライブだったように記憶している。途中鹿児島でのトラブルはあったが、何とか無事に終えたところに夢1号。光村が、自身の夢の中で見たMVのようなものを現実に持ってきて作った曲だ。リリース日とツアーのファイナルが自分にとって大切な日の前後とあって、NICOからのプレゼントだと捉え受け取ることにした。この年はNICOに関連する友人が増え、公式発信だけではわからない、リスナーだから・ファンだからこそ感じ取れる側面を知った1年であった。

2013年はMr.ECHOリリース、Shout to the Walls!リリースとそのツアー、ニワカ雨ニモ負ケズのリリースがあり、次なるアクションである、2014年2月のカベニミミに繋がるわけだが、その狭間の時期はこれまでを知らない新しいファンがぐっと増えたような感触があった。あくまでも普通にロックバンドとして見ていたいファンと、その頃じわじわとブームになりつつあったアイドルバンドと呼ばれるような振る舞い方を求める新規ファンとが衝突しているような場面を見かけることが多くなっていた。その火消しが済まないうちにカベニミミが始まってしまったものだから、あのオリジナル実験室1ヵ月籠城スタイルへの賛否両論が飛び交う状況が常に続く状態となっていた。ベストとローハイドのリリースをへても勢いは収まらず、落ち着いたのは結局Zeppツアーと天地ガエシの頃だった。その荒れに耐え切れずNICOから離れてしまった人が『TOKYO Dreamer買わないかも。8月19日の武道館は見たくないかも』とこぼしていたのはとても悲しかった覚えがある。私も確かにそんな状況を見続けていることが辛いなと思うことがあったが、遠巻きに静観するようにして、巻き込まれないように距離感を調節していたつもりだ。しかし、全員がそうできるわけもなく、そこで離れるかまだついていくかの選択を迫られた出来事ではあったと思う。

2015年はHowdy!!We are ACO Touches the Wallsをリリース、ACO Touches the Wallsとしての活動は、あくまでも別バンドだという位置づけであった。一旦活動休止をへて、後に2017年の1125/2017 ニコフェスト!で活動再開するのだが、どこまでも別グループだ別人だとするのがおもしろい。エレクトリックモードとアコースティックモードでは、ステージへと向かう心持ちが異なるのかもしれない。

まっすぐなうたをリリースし、それを抱えたツアー(ファンの間ではネギツアーと呼ばれていた)を敢行、秋には渦と渦に絡めたイベントがあった。この渦と渦のあたりでも再びカベニミミの頃のようなことが起きていた。しかし前回ほどは尾を引かず、そんなに疲弊することはなかった。今から思えばおそらく古村がケガをしたことにより「今はごちゃごちゃと割れている場合じゃない」と団結したからだろう。NICOではメンバーの不調の知らせが珍しい。だからこそ、不安が集まり何かしようという思いが働いたのだろう。最初で最後の3ピースバンドとして、昼は東京/夜は大阪と駆け抜けたこの年の1125だったが、そこで実際に下北沢組と梅田組に分かれて千羽鶴を送るという企画があった。公式Twitterにどちらも無事に受け取ったことを知らせるツイートを古村がしてくれた時は、いろんな感情が混ざり泣いた覚えがある。2015年は印象に残る1年だったように感じた。

出演予定だったCOUNTDOWN JAPAN15/16は自分達を慕ってくれる後輩BLUE ENCOUNTにピンチヒッターを頼み、西の渦と題した大阪城ホールは翌年の5月へ。そして迎えた2016年。大阪城ホールと対になるように組まれた東の渦武道館。そこで本来の4ピースバンドとしての復活を遂げた。その狼煙を見せつけるかのように、これまで以上に攻めたセットリストで安心させてくれた。私は東の渦には行けず、西の渦の方しか観ていないのだが、大阪城ホールに響くTHE BUNGYを聴いた時には思わず涙が溢れた。本来は飛んで踊って楽しむ曲だが、その日ばかりは泣かずにはいられなかった。1度触れれば強く耳に残り、この曲の生命線となっているあの印象的なフレーズ。そこは古村の担当だ。途中で坂倉のベースラインとの絡みもあるが、あのパートがなければ成り立たないのだ。1125の光村バージョンは新鮮で良かったが、やはり本来の人が戻ってきての完全復活なのである。元通りのTHE BUNGYを観たことにより、私の中で「これでもう古村は大丈夫だ」と胸を撫で下ろした。2つの渦の間にニワトリツアーと呼ばれた、勇気も愛もないなんてのリリースとそのツアー、ストラトのリリースがあったが、その時はまだ自分の中では完全な安心ではなかったため、西の渦を観られたことが私にとって本当に良かったことだと思う。

マシ・マシのリリースを控えた2016年の1125で告知解禁されたFighting NICOツアー。ALGORHYTMIQUEツアーと同様に何のリリースも背負わないツアー。第2のALGORHYTMIQUEか?と最初は捉えたのだが、印象としてはどうやら少し違ったようだ。2013年の1125が過去最大の攻めたセットリストだったのだが、それを東京だけに留めず全国展開したようなツアーだったのではと自分は解釈した。リリースを持たないツアーの方が自由なテーマでやれるし、自称アレンジ飽き性の4人としても性に合っているのではないかと思う。新譜のイメージに縛られないとなると、予想できない分、こちらとしても想像の幅が広がりより楽しいものである。日程中、個人的に思い入れの強い会場があり、その公演では私の1番好きな曲が聴けてしまった。そのため公演中ずっと涙が止まらず、終演後も人目そっちのけで沸き出した感情のままにその場に崩れた。その曲が聴けること、その会場で観られること、そのどちらも強く長く待ち望んでいた。1日で両方が実現した。その夜だけはその日参戦した誰よりも愛を叫んだ自信がある。自惚れだろうが、自意識過剰だろうが何でもいい。その思いは私だけのものだということは揺らがない。

全国の大学の学祭を巡った後、2009年から毎年恒例の11月25日のイイニコの日ライブがまたやってくる。ファンにとっては1年で1番のお祭り騒ぎの1日である。本気でNICOが好きで愛して止まない者達が、学校よりも仕事よりも家族や友人との予定よりも何よりも最優先に、NICOのためならばと早くから予定を空け、全国から駆けつけ一同に集う日だ。毎年熱量が凄まじ過ぎて、24日に前夜祭、26日に後夜祭を開催した方が良いのでは?それくらいはしても許されるのでは?と個人的には思っている。2014年から毎年開催している、対バン形式自主企画ライブのニコ タッチズ ザ ウォールズ ノ フェストというものがあるのだが、2017年はやらないのか?と心配する声がちらほら聞かれていた。それがまさかの1125をフェスト形式で開催とは誰が予想できたのだろうか。おまけに会場が幕張メッセとあり、例年以上にお祭り色が濃くなることが期待された。

バンドとしての交友関係が普段あまり明かされていないうえ、1度フェストに呼んだバンドは出さないという条件がこっそりと存在するため、おおよそどのあたりとの繋がりや接点があるのか読めないところを、なんとかヒントはないかと予想合戦が始まっていた。そのすべてが当たったのかは知ることはできないが、選んだゲストに間違いはなかったんだという思いを、幕張メッセの空気を揺らすものすべてから汲み取ったような気がした。

そして12月6日。音源としてはマシ・マシ以来となるOYSTER-EP-のリリース。EPとは?という声があちらこちらで見られた。私はミニアルバムだという認識であるが、シングルを大きくしたものだという見解もあり、どちらなのかはわからない。だが、一応ミニアルバムだというつもりで冒頭の書き方をした。西の渦のDVDしか出ていなかったため、新曲を待っていたファンは多かったことだろう。何故牡蠣なのか?何故紫であんなジャケットなのか?とデザインやコンセプトを推測する者、EPサイズで出す意味を考察する者、曲のタイトルからどんな曲が来るのかと想像した者。Funny Side Up!はMVが公開されたため、曲の素性が明らかになったが、それ以外は謎に包まれた曲達。Fighting NICOツアーで披露されていた新曲の行方は?どの視点や切り口からであれ、それぞれが自分なりに受け入れる準備をして、手に取れるその日を迎えた。

もう1度書くが、私は新譜の感想を上手く述べるのが苦手である。ただ、そんな自分でも1つ明確に思えたことがある。2011年に手をたたけに触れてから2017年のOYSTERに触れるまで約6年。「今の4人が考えていることがよくわからないなぁ?もういっそのことNICOから離れてしまおうか?」何度もそう思うタイミングがあった。しかし、エレクトリックもアコースティックも、OYSTERに込められたすべてのミネラルを感じた時に、やっぱり見捨てずに諦めずに追いかけ続けて来て良かった、と心の底から思えた。それが答えの1つなのかもしれない。

2014年のオールカタカナ推しから始まり、2015年はネギを、2016年はニワトリを、そして2017年は牡蠣を、それぞれ中心モチーフにしてきたNICOだが、ここまで食べ物が続くと次は何だ?具材によっては鍋ができるぞ?というネタが飛び交う。音楽の少し外に、そういうおもしろがれるようなものを持ってくることも、私が好きなところのうちの1つである。

2011年に出会えた音。それが2018年を迎えた今まで繋がることになるとは、当時は予想だにしなかった。6年ほどになるが、1バンド当たり長くても2~3年ほどで飽きてしまうことが多かった私にとって、波はありつつもこんなにも長く好きでいられる気持ちが続くバンドはなかなかない。今から思えば、一生かけても出会い切れないほど多くのバンドの中からNICO Touches the Wallsを見つけられた2011年の自分に感謝したい気持ちでいっぱいである。

2018年1月25日。NICO Touches the Wallsの新たな予定が発表された。N X Aツアーである。全国ツアーとしては今までにやったことがないような試みをするという。NICOが今までにやったことがないこと?これまでもたくさんの新しい遊び方を提示してくれたのに、まだ何かあるというのか。

――熱狂には、さらなる熱狂を。僕らは大の負けず嫌いだから、みんながくれるものには必ずお釣りを付けて返してやろうと思っている。だから、これから先もその気持ちはどうか遠慮なく僕らに預けてほしい。その愛で僕らを焼き殺すつもりで来い。――

2017年Fighting NICOツアーでの言葉だ。そこまで言うのなら、次の“N X A”ツアーで、4人を包むその愛の力を持って焼き殺してみせよう。どんなお釣りで答えて返してくれるだろうか。大変楽しみである。

【日記】2019/12/06 プレイリストと「音楽と人」

cocoちゃんから、 『noteを書いたので、良かったらreunion25に掲載させていただけないかと思い』って届きました。ありがとう!

既に読んだ方も多い文章かと。
連絡もらって10日近く寝かせちゃってごめんね。

同じものを、reunion25にまとめることが、今後NICOを知るであろう方々の道しるべになればって思ってます。
元note↓

https://note.com/cocoyoum/n/n3e509a0ef0b0

【日記】2019/12/06 プレイリストと「音楽と人」

NICO Touches the Wallsのプレイリストを作りました。1回作ったのですが、やっぱりあれもこれもと足していったらトータルで30曲!演奏時間は2時間30分!趣味が出るなぁ。

タイトルは「20060422→20190325」。これは私が最初と最後に行ったニコのライヴの日付。13年前、GRAPEVINEを観るために行ったイベントで知り、本格的に聴きこむようになったのはそれから6年後になるけど、最初に観たライヴがメンバーが21,2歳だった頃というのは、なかなか貴重なものを目と耳にしていたんだなと思う。記憶は薄らいできているとはいえ。だから、やんわり覚えているニコとの出会いとして「そのTAXI,160km/h」を選んだ。きっかけとなったGRAPEVINEとの共演を思い出すのが「B.C.G」だし。

「バイシクル」をアコースティックVer.にした理由は、アジカン主催のフェス「NANO-MUGEN FES.2014」で聴いたときの感動が今でも忘れられないから(このフェスはアコースティック編成で出演していた)。原宿にあったキャパ150人の会場でぎゅうぎゅう詰めになりつつ聴いた(「カベニミミ」)「ローハイド」、2017年の全国ツアーFighting NICOで信じることの大切さを教えてくれた「ストラト」、浦安が生んだロックスターの思う浦安っぽい曲は「波」…という風に書いていたらきりがないのでやめるけど、私の人生と複雑に絡まりあっているバンドであることを、改めてプレイリストを作りながら実感したのである。



そして、12月5日に発売された「音楽と人」2020年1月号を私も読んだ。

(トップ画面の「音楽と人」は2009年9月号。)

ニコのことを15年近く追い続けた編集長・金光裕史さんの文章は、きっと誰よりもバンドの本質を見抜いていた存在だからこそ書ける愛という叱咤。読み終えると、11月15日の正午の感情がよみがえるというよりは、その事実を再確認するような、なんだか四十九日が終わったような気分。

突然、あんな事務的な文章でサヨナラを告げらてからずっとモヤモヤしていたけど、終わりを決めた人達がリスナーに言えることはあれ以外ないのだと、金光さんの文章を読み終えた途端、妙に納得してしまう自分がいた。

リスナーはバンドの内情を知らない。でも終わりそうな予感があっても、終わることが突然発表されても、どちらにしても終わってしまう事実にはリスナーは傷付くし、さみしくなることには変わりはない。

また、バンドの味方をするわけじゃなけど、終わらせることを決めた本人たちにだって「痛み」は伴うものだ。

…でもさ、金光さんが書いていらっしゃる通り、ニコのいない世界は何をどう考えてもつまんない。



私は、ニコのライヴを観終えると、メンバーの肩を「ポン」と叩いてあげたい気分になることがあった。労いの意味で。特にVo&Gtの光村龍哉さんことみっちゃんのね。

自信家のときもあればステージに上がると不安そうだし、アンコール曲を歌い終わった後なんて充実そうな笑みを浮かべながらもたいがい泣きそうになっていた。溢れそうな感情を表に出さず、自信家のまま突っ走ったらいいのに!それができない彼を「めんどくさいタイプ」だなと思ったことは何度もあるけど、私は彼の歌声(才能)に惚れ込んでしまっていた。これが惚れた弱みということなのか、やっぱりほっとけない人で、ニコはほっとけないバンドだった。時々…いや、わりと頻繁にみっちゃんを心配していたので、だからどう考えても古くんとさっかんと対馬くんの存在が彼には必要なのでは?って今でも思ってしまう。こんなこと書かれたら、みっちゃんにとって大迷惑かもしれないけれど。ごめんね。

ニコの活動を追っていく中で、バンドが色々なものを背負ってしまい、とてもしんどそうに見えた時期もあった。それは金光さんの言葉を借りると「周囲の期待に応えようとする優しさ」が仇となってしまったからだろう。私を含めたぶん多くのリスナーも薄々それには気付いていたと思う。

本当は(どの曲も一生懸命作ったに違いないけど、でも)4人が歌い演奏していて心から楽しめる曲をリリースしてくれればよかったんだよ。そしてそんなライヴを続けてくれさえいればよかった。今更こんなこと言っても遅いのは承知。でも悔しいから言わせてもらうけど、ニコを心から好きでいたリスナーは、間違いなく全力でそれを受け止めたよ。

「じゃあ結局ニコは最後まで混沌としていたのか?」と問われると、そういうわけでもなかった。アコースティックを始めたことでバンドの歯車がうまく回り始めたのは事実だし、近年の活動ではエレキとアコを同時進行させたからこそ、バンドがぶれなくなったとも言える。

また、結果的に最後のアルバムになってしまった「QUIZMASTER」で、楽曲のふり幅の広さを個性へと化けさせたバンドの軌跡を見事にひとつの形にさせた。これは本当にすばらしいことだ。

なのに11月15日の正午以降、私はこの「QUIZMASTER」を「最高なのにまるで活動終了の宣告文」としか捉えられなくなり、一番聴きたくないアルバムにのし上がってしまったんだ。

でも、ある時「QUIZMASTER」を胸が苦しくなりつつも聴いてみて、アルバムリリース時のナタリーのインタビューも改めて読んでみたら、私が思っている以上にこのバンドを転がしていくことの大変さがわかってしまった。諦めずによくこの作品まで辿り着けたなと、感慨深い気分にもなった。

何よりこれは、ニコともに悩んで泣いて走り続けてきたリスナーを肯定してくれる作品だと勝手に思っているから、私はこのアルバムが手元にあることが誇らしいし、やっぱり音楽で返してくれたことに心から感謝しているのだよ。

と同時に「バカヤロー」とも言いたくなるけど。



最近、私は他のアーティストのライヴに行った。新しいCDも買った。人生の半分以上、音楽と共に生きているので、これからも新たな音楽を探すことはやめない。ライヴも行くしフェスにだって行くし、そこで楽しい時間を誰かと一緒に過ごす幸せな音楽人生を送るはず。

でも、ぽっかりと開いた穴は塞がることはないのだろうし、むりやり他のモノで塞ぐ必要もないのだなと思った。実際に、やろうとしたけど、私にはそれができなかった。

だから申し訳ないけど、ニコが開けた穴はそのままで生きていくわ。だって、後にも先にもニコのようなバンドとは出会えないと思うから。

ニコの真似なんて、誰にもできないでしょう?それだけのことをやってきた事実には、それぞれ新しい場所で何かを始めたとしても、メンバー全員誇りを持って欲しい。

ニコを聴いていたからといって、目の前で起きた仕事のトラブルが解決したわけでも、拗れた人間関係が修復したわけでもなかった。病気だって治ったわけでもなかった。でも、みじめで情けなくて本当にひどかった時期の私に寄り添い、生きるための力になってくれたからなんとか乗り越えられたし、たくさん勇気をもらってきた。(「勇気も愛もないなんて」というタイトルのアルバムリリースしてたけど、あなたたちの音楽からは確かに勇気と愛を感じていたからね!)

ニコと出会えたことは私にとって幸運でしかない。そして、音楽の力をこれからも信じようと思うのだ。

だからさ、「来世で逢いましょう」なんて陽気に歌わないで、今世紀中に必ず会いましょうよ。プレイリストの最後の曲にこの曲を選んだのは、そういう理由からです(しかも、むりやり替え歌にして歌っている)。



ニコの件があって3回目のnote更新。ただ1回目のは恥ずかしくて非公開にしてしまいましたが(すいません)、前回のは建前で、今回が本音かな。最後の最後まで振り回されっぱなしだったことには「おいおい」って感じですね。でも今後振り回されることもないのかと思うと、とてつもなくさみしいです。


クイズの答えは誰にもわからないけれど

サイト作って嬉しいのは、新しい出会いがあること。

あきさん(@_hellskitchen) から 気持ちを共有したいと テキストいただきました。NICOのライブは女子率が高いでしょう。貴重な Men’sニコクラさんの思いがこうやってアップできることありがたいです。


「クイズの答えは誰にもわからないけれど」

僕のNICO Touches the Wallsは
職場の娘が勧めてくれたOYSTERから始まった
そしてあっという間に駆け抜けた

――――――――――――

いつまでもなんてない

世の無常もすでに染み付いた
十分なおとなになっている
半ば諦めや限界も知っている

それでも彼らの音楽は僕の心を刺激した

上っ面な本気でない叫びがこだまする
他の音楽を切り裂いてくるかのように
雑踏にいても聞こえてくる真剣な嘆きが聞こえてきた気がする

もうあの頃から終わりは始まってたんじゃないか。
そう、浅いからこそ感じる真髄

――――――――――――

最初から感じたわけじゃない

気に入った、ひとこと気に入った
久しぶりの一目惚れ

OYSTERを聴き込んだ後、
待っていたのは順番に過去へと探る旅

いきなり感じた違和感
そしてたどり着くルーツ

自称他称ともにひねくれ者
何をやるのかわからない進化するバンド

たどり着いた答えは無理をしている
ただそれが優しさで義務で責任で挑戦だったんだろう

相反する自己表現と皆の期待をひねくれものは時に無理しながら
開放したのだろう

――――――――――――

今でこそ感じるOYSTERの開放感、あそこからきっと始まっていたんだ。

そして

気づいてないふりしてたSHOWで感じた矛盾

誰だってわかる3秒後の悲壮感

賛否両論の18?のPV
外から自分を見た時の涙と別の自分
メンバーと光村の対比

最後のハンマーの訳

――――――――――――

僕らはわかってたんじゃないかってこと

QUIZMASTERは答えを持ってたってこと。答えがなければクイズにならないこと。

――――――――――――

また時間が経てば別のことも考えられるだろう。

まだ今は疑問を持ちながら待つだけなんだ。
間違いなく僕の去った音楽は彼らによって戻された。

僕らの願いが叶う日は
去ったものが戻る日であることも願うだけである

  

また時間が経てば別のことも考えられるだろう。

まだ今は疑問を持ちながら待つだけなんだ。
間違いなく僕の去った音楽は彼らによって戻された。

僕らの願いが叶う日は
去ったものが戻る日であることも願うだけである

NICO touches the Walls 終了から半月が過ぎて。


新田さんの noteへの投稿 こちらにもということでいただきました。
気持ちの移り変わりをツイートの流れで整理されていて、アタシ達なんでこんなにモヤモヤしてるの!ってポイントにとても共感しています。

◆NICO touches the Walls 終了から半月が過ぎて。(新田 2019/12/05 16:14)
https://note.com/nittan1125/n/n0a08233645ef


2019年11月15日、NICO Touches the Wallsが終了した。

夏フェス以降の予定が全くなく、モバイルサイトの更新も止まり、毎年恒例の11月25日、「いいニコの日」についてのアナウンスもない。

なにかあったのか?という不安な思いと、いやいや、NICOのことだからなにか企んでいるに違いない、その発表が25日、あるいはその直前にゲリラ的にあるのでは?という希望的観測が入り混じるツイッターのタイムライン。「いろいろ心配ではあるけど、とにかく25日を待とう。」そんな空気の中、25日よりも10日も早い15日という完全ノーマークの日に、味もそっけもないテキスト1枚を残して、5年近く追いかけた大好きなバンドがあっさり終了してしまった。

それは正午のことだったのだけど、油断しきっていた私はツイッターを見ていなくて、1時間後くらいに公式LINEの通知で知った。公式LINE、実に3か月と14日ぶりのお知らせ。

公式仕事しろと言われて久しいが、仕事したと思ったらこれだし、間髪入れずにこれまた仕事しろと言われ続けているニコモバ(有料)から、もう何も更新しないから早めに解約してね(要約)という、こういう時だけ仕事早いな!と突っ込まざるを得ないメールが来るし、TLは混乱を極めてて、みんな短時間で何コンボ決められたかわからないピヨピヨの状態で。

それ以降はとにかく携帯を握りしめ、ひたすら支離滅裂なテンションのままにツイートを量産するマンと化した。たまたま仕事が休みで助かった(周りが)

この時点ではまだ悲しみよりも動揺が大きく、完全に親しい人が急に死んだときの状態。現実味がなくて、涙もろくに出やしない。

知った瞬間のツイート、妙に前向き。

「終了」の文字に意味を見出そうと必死。

必死すぎて変なところに着地してみたり

最終的には脳みそ使いすぎて疲れちゃってる…。

時間の経過とともに「何故」が膨らんで、怒り始める。

もやもや考え続けて、もやもやのピークにきたあたりで藤田たくみさんのツイキャスを見たんですね。ここで初めて泣きました。怒りで。

「なんでよその人の口から聞かなきゃいけないの」これが、自分のもやもやの一番の原因だったんだ、って自分でもこの時分かった。藤田さんが言ってくれたこと、それ全部本人たちの口から聞きたかった。

悲しいし、悔しいし、とにかく腹が立った。生きてるのに、死んだような終わり方。もちろん事情はあると思う。美学もあると思う。じゃあどんな終わり方が良かったのかと言われても、何も浮かばない。でも、なにもこんな終わり方しなくてもいいじゃないか。

最後のアルバムが「?」だらけだったのもあって、いろんなところにヒントがあって、その答えはそれぞれが見つけてください的なことなんじゃないかと、ツアー最後にあの曲を持ってきた意味とか、歌詞がどうとか、15日だったのはいい15年てことなんじゃないかとか、みんないろんな答え合わせをしてるけど、うるせえいいから顔出せやと思ってしまう武闘派の自分もいて。

本来ならみんなNICOが大好きであることを再確認する日であるはずのイイニコの日、一人で過ごすのは辛いし、仕事は休み取ってるし、とにかく会いましょうの会に参加させてもらいました。

当日駅で待ち合わせたお友達の顔を見た瞬間泣き、その後合流したお友達を見て泣き、途中国際フォーラムを見てまっすぐなツアー…と涙ぐみ、いくらを見ては古くん…となり…。

部屋についてみんなの顔をみたらもう涙腺崩壊で、まだなにも映ってないプロジェクターの画面を見て、これからここに楽しかった映像が流れるのだ、そしてそれはもう全部過去形でしか語れないのだと思うと自分で引くほど(周りはもっとだろう)涙が溢れ、止まらなかった。泣きながらお土産を配る謎のおばさんと化した。終了してからの10日間、自分の中だけでぐるぐる考えて、泣いて、怒って、激怒して、結構いっぱいいっぱいだったようです。さぁじゃねえよ!って何回言っただろうか。すごい吐き出させてもらった。

https://twitter.com/nittan1125/status/1199109467033325569

ツイッターでも、イイニコの日になにもなかったことで本当に終わったんだって実感した、という声をいくつか見たけど、やはりファンにとって特別な日だから、この日公式発表的なものがなにもなく終わったことでひとつの区切りがついた人は多かったのかも。(古くんのインスタの更新はあったけど)TLもこの日を境に少しゆっくりになった気がします。

バンドも長くなってくれば、例えば休止とか移籍とか脱退とか加入とかソロとか別名義とか、そういうことは起こりうると思うんです。だけど、NICOに限って、解散や終了はないと思ってた。ゆっくりペースでも、みっちゃんが好きなスピッツやサザンみたいに、おじさん、おじいちゃんになってもNICOとして続いていくもんだと信じて疑いもしなかった。それこそ「うちの子に限って」みたいな、過信があった。

そりゃ人は死ぬし、私も死ぬし、いつかは終わりがくることはわかってるけど、そんなのはもっとずっと先の話であって、4人にはとにかく心身ともに健康で、怪我せず、できればお金に困らず、笑顔で長生きしていつまでも楽しく音楽を続けてほしいと、お母さんを通り越してもはやおばあちゃんの気持ちでいたから、今もまだ少し信じられない自分もいる。いろんな自分が自分の中で喧嘩してる。

個人的な好みの話だけど、40歳以降のNICO Touches the Wallsを心待ちにしていたから、それがもう見られない、34歳までのNICOしか見られなかったというのは本当に悔いが残る。光村龍哉(40)、これ以上エロいワードがありますか。(おばあちゃんとは別の自分)

壁なしで一人で立つための筋力がこの5年ですっかり衰えてしまって、今はまだ太くて立派な足がついてるのに立って歩けない、前へ進めないという情けない状態ですが、NICOが終わっても悲しいほど確かに地球は回ってて、日々生きていかねばならないので、そんな今の気持ちをここに残しつつ、前へ進むための筋トレをしなきゃなと思う、もうすぐ40、新田でした。


オリジナル↓
https://note.com/nittan1125/n/n0a08233645ef

QUIZMASTER 展開集

2019年6月5日発売 「QUIZMASTER」発売時の店舗展開の様子をほたるちゃんから頂きました。

きっちり文章でまとめなくても、いろいろ追っかけてた記録、ツイート一つでも、モーメントにまとめていただいたのでもこんな風に紹介できるので お寄せください。

「撮ってきたよ」カテゴリー こんな感じで整理していこう
    ⇒ お店POP
    ⇒ フェスライブ
    ⇒ グッズ

※twitterの「埋め込み機能」を利用するのだ

【検索用テキスト】NICO Touches the Wallsの新アルバム「QUIZMASTER」発売時の店頭展開です。ミラーレス一眼使用のため容量大きめです。(撮影場所:SHIBUYA TSUTAYA、TOWER RECORD渋谷店、TOWER RECORD新宿店)

NICOTouchestheWalls #N_T_t_W #QUIZMASTER

NICO Touches the Wallsが終了したんです

Taaaさんから 投稿いただきました。ありがとう!投稿希望第一号だね。
https://note.mu/taapunch/n/n0dac65157b6f  から転載します。


NICO Touches the Wallsが終了した。突然と言えば突然、いや、ガチファンの中にはもやっとそういう最悪のシナリオを想像していた人もいた事だろう。
今夏のラブシャ出演を最後に、公式からはNICOの活動についての情報が全く発信されず、そこまでは楽観視していたファンも唯一期待していた11/25の「イイニコの日」についても何もアナウンスされない事に漠然とした不安を感じていたのは確か。
それが11/15の正午、「僕たち4人はNICO Touches the Wallsを終了することにいたしました」という衝撃的な文章で始まるメッセージがLINE、メールTwitter等で発信されたのだ。
何て日だ!(この言葉をこんな風に打ちひしがれて使う日が来るとは…)

私がNICOを知ったのは「ホログラム」だった。何の番組なのかCMだったのかは分からないが、深夜につけっぱなしのTVから流れてきたその曲のメロディーに引き寄せられるように気にもとめていなかったTVに目を向けると丁度長ったらしいバンド名が出ていたので慌てて読み取れる単語を記憶した。NICOとWalls。アホな私を呪った。がしかし、Google先生は見事にNICO Touches the Wallsを導き出しその曲が「ホログラム」であると判明。TSUTAYAにあった発売されたばかりらしいアルバム「オーロラ」と目に留まった「Who are you?」を借りてきて瞬く間にハマった。特に「Who are you?」はズブズブにハマった。なので2009年の冬だったと思われる出会いから丁度10年。で終了。
途中他のバンドやら韓流に浮気した時期もあるが新譜が出れば購入し聴き込んだ。「How are you?」から最新作「QUIZMASTER」まで全て聴き込んだのはNICOくらいと言っても過言じゃない。
この様にNICOについての思い入れや思い出を語るととてつもない長文になってしまうがそれは自分の中に留めておくとして…
NICOがこんな風に終わるとは誰も予想しなかったはず。今はただただ悲しい。

思えばNICOは自分のホームグラウンドのような存在だった。そこにいて当たり前の存在。色んなバンドの曲を聴きライブに行くが帰ってくる場所はいつもNICOというホームグラウンドだった。NICOの新譜やライブを心待ちに、他のバンドを楽しめたのだ。
そのホームグラウンドがなくなった今、帰る場所を無くしてしまったかのような不安感や虚無感を感じる。
正直好きなバンドがたった1つ終了しただけでこんなに辛く、悲しいとは自分でも思ってもみなかった。

所謂“売れてるバンド”ではなかった。(失礼)全国ツアーをしてもソールドアウトするのは東名阪くらい。(マジで)けどディープな音楽好きなファンが沢山ついていた。と思う。
“音源を超える”と言われるNICOのライブはCD音源通り演奏される事はほとんどなく、馴染みの曲でさえファンを心酔させるアレンジで披露され、ライブ後にファン達の間では今回のあの曲のアレンジがどーだこーだと盛り上がるのもよく見られる光景だった。
大きなフェスのメインステージに立ち続けたのもそういった本当に音楽が好きな人達に観て欲しいバンドだと、そう思う人達が少なからずいたからだと思う。

NICOの音楽に出会って10年。色んな音楽を取り入れ自分達の音楽に昇華し続けてきた彼らの「音楽で遊ぶ」という姿勢は何度もライブに足を運びたくなる程魅力的だったし、足を運ぶ回数が増える度そこに集う顔馴染みのファンの方達も増え、皆と会えるのも楽しみの1つだった。そんなかけがえのない楽しみが1つなくなってしまう。

NICO終了から丸2日、少しは気持ちも落ち着いてきた(気がする。)
未だ納得いかない事は多々あるし辛い気持ちに変わりはないけど、冷静に今までのアルバムやライブを振り返ってみる。
おそらくNICOはNICOの音楽をやりきったんだなと、そう思う。そう思いたい。やり尽くして「NICO」としてこれまで以上の物は出来ないと今の時点でそう感じたから終止符を打ったのだと。
NICOを経た先にメンバーそれぞれ、特に光村(ボーカル&ギター)には次のビジョン、やりたい事が見えているのかも知れない。
そんな事をファンに一々説明するようなマメな人ではないし、頑固で融通の効かないそんな人が作り出す音楽が好きだったのだからしょうがない。
泣く泣く諦めよう。
その代わりにこの先、私達ファンが納得するような今まで以上の音楽をまた鳴らしてくれることを約束して欲しい
沢山のNICOファンを泣かせた代償は大きいのだ。
“「壁」はなくなった”と言ったその「壁」はファンにとってはNICOの象徴のようなものだったけど、前へ進もうとする彼らの足を止める障害であってはならないとも思う。

幸運なことにNICOの曲達はこれからも残っていくだろうし、私のプレイリストから消える事はないだろう。
今はまだ感謝の言葉は言いたくない。彼らが新たな場所で、最初に聴いたNICOの音楽以上の衝撃をもって現れた時に心からこの10年間の幸せな時間をくれた事にありがとうと言えるような気がするから。


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